■ 概要

■ JR宝塚線で活躍する列車

201系

短期間ながらN30体質改善車も活躍していた。

205系

左側1/4のスペースには「宝塚線」と記載されていた。

207系(2000番代)

各駅停車の運行区間は、ほとんどが高槻〜新三田である。

207系(1000番代)

東西線・学研都市線方面の快速はすべてこの車両。

321系

西行列車では、黄色の幕が表示される。

221系

大阪発着の列車でも、種別幕の下側が黄色となる。

■ Train Kit

201系をダウンロードする

205系をダウンロードする

207系・321系をダウンロードする

221系をダウンロードする

JR宝塚線とは東海道本線と福知山線をあわせた大阪〜篠山口の路線愛称であり、この区間の総延長は66kmである。大阪〜尼崎が東海道本線、尼崎〜篠山口が福知山線として登録されている。福知山線自体は篠山口から先にも伸びており、最終的に山陰線と接続する福知山に達するが、篠山口から先は「JR宝塚線」とは案内されない。

国鉄時代末期までは単線で気動車が走り、何度もカーブしながら武庫川をオーバークロスするローカル路線であったが、JR西日本に引き継がれ、アーバンネットワークの一員となってからは対阪急戦略に組み込まれ、複線高速化、新型車両の導入などで一挙に近代的な通勤路線となった。

尼崎から地下線で大阪市内を突き抜け、片町線(学研都市線)と接続することが国鉄時代から計画されており、この計画は1997年3月8日「JR東西線」として結実した。学研都市線沿線は近年、大学や研究施設の誘致で発達してきているため、大阪への通勤以外にも、学生の利用も多い。

■ 運用

各駅に停まる普通列車と快速列車、それに特急「北近畿」「タンゴエクスプローラー」が運行されている。篠山口以北、福知山方面に直通する列車は、日中は特急のみとなる。

普通列車は4つドアの7両編成で、207系または321系が使用される。ほとんどはJR京都線に直通し高槻〜新三田を運行するが、朝にはJR京都線方面で京都発着のものや、JR東西線方面の塚口発着も運行される。日中は尼崎で松井山手〜西明石を運行する各駅停車に接続するダイヤが組まれており、ホームtoホームの乗換えを可能にしている。JR京都線方面とJR東西線方面がほぼ終日にわたって交互に運行されるJR神戸線と異なり、JR宝塚線ではJR東西線方面の各駅停車は朝・深夜などごく限られた時間にのみ運行される。

朝夕ラッシュ時には、大阪発着の普通列車もあり、これらには3つドアの113系や221系も使用される。しかし、大阪駅で折り返す関係で、尼崎〜大阪間は外線を走行するので、塚本のみ通過となる。

大阪発着の快速は、113系または221系で運行される。朝夕のラッシュ時には8両編成となり、1〜4号車が福知山まで直通、篠山口で分割・併合を行う。日中の快速には「丹波路快速」という愛称がつけられており、こちらには221系のみが使用される。朝の長編成列車と異なり通常は4両編成である。

JR東西線方面の快速は、大体15分おきに、同志社前行きと木津行きが交互に運行される。朝夕ラッシュ時間帯には奈良行きや四条畷行きもある。京田辺で編成の分割併合が行われるので、編成分割ができないF1編成と321系は使用されず、すべての列車が207系の量産型で運行される。尼崎で須磨方面からの京都行きに接続し、JR東西線・学研都市線ではJR神戸線からの各駅停車と交互に7.5分おきに運行されるダイヤが組まれている。

■ 他社との競合関係

JR宝塚線という路線愛称が示すとおり、大阪〜宝塚では阪急宝塚線と競合関係にある。1986年まで福知山線はいわゆるローカル線の雰囲気を強く残し、阪急としても対抗関係にあるとは考えていなかったが、JR発足後の高速化により、京阪神間だけでなく宝塚方面でもJRと阪急が乗客の奪い合いを繰り広げるようになった。

1997年までは本線にのみ直通列車を運行しており、尼崎で折り返す列車も数多く設定されていた。しかしJR東西線の開業によりダイヤの大幅見直しが実施され、JR東西線方面への快速列車の頻発運行、学研都市線との車両共通化(207系)、老朽化の進んだ103系の置き換えなど、JR西日本は本気で阪急に勝負を挑むようになった。さらに2001年3月からは、2つドアの117系によりラッシュ時に運行されていた大阪発着の快速を日中にも拡大し、同時に車両も3つドア・オールクロスシート車両の221系へと置き換え、日中の列車には「丹波路快速」の愛称を与えた。2003年には、快速列車はJR東西線方面・大阪発着ともに中山寺に終日停車するようになった。

ところがこれが後々、かなり手痛い結果を招くことになった。JR神戸線の新快速のように「芦屋に停めても問題なし」というわけにはいかず、宝塚〜川西池田の3駅に連続停車するようになったことで、快速はいつも遅れるようになった。関西の鉄道利用者というのは、遅れにはうるさいことで有名で、1分でも遅れたら客に何を言われるかわからない。折角JRが奪ったシェアを、阪急に奪い返されるなんてもってのほか。当然、ラッシュ時にJR宝塚線を担当する乗務員は、何とか遅れを出さないように、遅れたら少しでも回復しようと必死になる。こうして乗務員の負担が日増しに重たくなっていき、注意力も散漫となって過走や回復運転が日常茶飯事となってきていた。2005年におきた脱線事故の遠因のひとつには、このような「乗務員に多大な負担がかかる労働環境」があったといわれている。

事故後しばらくは、並行する阪急各線(宝塚・伊丹線)が代行輸送を担った。6月19日になってようやっと全線が復旧したが、この惨劇を機に「ゆとりダイヤ」なるダイヤが設定され、2006年3月18日のダイヤ改正でアーバンネットワークのほぼ全域に採用されている。具体的には、停車時間に余裕を持たせ、無理な回復運転をする必要のないダイヤを組むというものである。

また、事故により被災した207系の塗装は、もとの青2色では縁起が悪いということで、濃紺と黄色に変更された。事故後に導入された321系でも、同じ塗装が採用された。ちなみに、321系の編成は1号車・7号車ともに「クモハ」となっているが、これは脱線事故とは関係なく、設計当初からそのようになっていたものである。

inserted by FC2 system